「目の前にある足跡を追うのではない。
そこに残る意思を追うのだ。」
なるほど!
で、それはどうやるんでしょうか、先生!
「うーん・・・わからん。」
そんな感じの会話が、先生と、その一番弟子さんの間で交わされたそうです。
確かにその先生は、
「『意思』を追うから、痕跡が途切れたように見えても、引き続き追えるのだよ。」
と言ってました。
もしかしてちょっとスピリチャル的な感じなのかなあ?
俺には無理なのか?
正直そんな考えが頭をよぎりました。
でもやってみれば、凄く体系化されてて、地に足がついた感じでした。
凄く単純な例を出します。
山に別れ道があったとしましょう。
自分なら迷いなく右へ。
広いし、明るいし、歩きやすそう。
でも、今、自分が今追跡している痕跡の主であるタヌキなら、どっちへ・・・・?
それが「意思」を追うって事なのです。
もっと言うのであれば、その意思を「追う」のでなく「まとう」のだそう。
そして、なるべくキメ細かい「意思」を、まとうには、タヌキの事を、よーく知りたくなります。
おまけに、タヌキを自分の「頭」ではなく「感覚」に纏わないといけないという事も分かりました。
自分が知る、または痕跡から得られる、あらゆる「タヌキ」の情報を、感覚に「まとう」、
イコール
今追っているタヌキに「変身する」ということ。
痕跡を見るのは、一番最後、答え合わせ程度。
それが「コツ」なのだそうです。
12月20日、今年最後のワークショップ、
この記事へのコメントはありません。